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ヴァージニア・ヘンダーソン『看護の基本となるもの』が生まれるまで~あの看護の偉人はどんな人?

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ヴァージニア・ヘンダーソンが著した『看護の基本となるもの』といえば、多くの看護師にとってバイブル的な存在よね。

正直、ヘンダーソンについては学生時代に授業で習ったきりでして・・・。

まあ、それはもったいないわ。
『看護の基本となるもの』は60年近くも前に発表されたのだけれど、看護師が自身の看護に迷ったときの指針となりうるものよ。
今回は、ヘンダーソンの生涯をたどりながら、彼女が提唱した理論を振り返ってみましょう!

1.現場にこだわり続けたヘンダーソンの生涯

1-1 陸軍看護学校での恩師との出会い

1897年、米国ミズリー州カンザスシティで生を受け、幼児期をヴァージニア州で過ごしたヘンダーソン。父親は弁護士、祖父母は教師という恵まれた環境で育ちました。向学心にあふれ、まじめな性格だったヘンダーソンは、1914年に勃発した第一次世界大戦に接して「傷付いた兵士たちを助けたい」という強い思いに衝き動かされ、看護の道を志します。

ヘンダーソンは20歳のとき、ワシントンに開設されたばかりの米国陸軍看護学校の門をたたきました。そこで出会ったのが、同校の立ち上げに尽力し、校長も務めたアニー・グッドリッチ。以降、ヘンダーソンが生涯にわたって師と仰ぐことになる存在です。

グッドリッチの下で基礎教育を受けたヘンダーソンは、看護の仕事について確かな技術と広い視野を備えるようになりました。そして次第に、当時は当たり前だった画一的なケアや、「医師の仕事の補助にすぎない」と見られていた看護のあり方に疑問を持つようになっていったのです。

1-2 訪問看護師から看護学校の教員に

3年間の看護教育を受けて陸軍看護学校を卒業したヘンダーソンは、病院よりも自由度の高い看護活動を展開したいとの希望から、訪問看護師として働くことを決めました。職場として選んだのは、リリアン・ウォルドがヘンリー街に設立した世界初の看護師セツルメント。恵まれない人々に医療や教育などを提供する施設です。当時、ヨーロッパから移り住み厳しい生活を送っていた人々が多く集まるこの地域で、ヘンダーソンは公衆衛生や地域看護の知識を生かして貢献しました。

それからおよそ1年後、故郷であるヴァージニア州のプロテスタント病院看護学校より教員になることを依頼されたヘンダーソンは、これを引き受けることにします。同校の専任教員は、彼女1人だけ。それでも創意工夫しながら日々の授業に取り組み、学生たちのために様々な企画を打ち出しました。また、教員としての仕事だけにとどまらず、看護実践者としてのスキルも維持しておきたいとの思いから週末は必ず臨床に入り、患者さんのケアを行っていました。

1-3 フィールドワークを重ね、実践を重視する研究者へ

プロテスタント病院看護学校で教鞭を執るようになって5年ほどたった頃、ヘンダーソンの胸に「教員を続けるなら、もっと自分も教育を受けなくては」という思いが芽生えてきました。そして32歳のとき、コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジへ進学。1年ほどで学費が尽きてしまいますが、休学して臨床で働き、さらに奨学金も得ながら、無事に学士号と博士号を取得しました。在学中、彼女のライティング能力を高く評価した教授の紹介で、故ベルタ・ハーマーが著した教科書『看護の原理と実際』(1922年初版発行)を受け継ぐことになり、1939年に第4版を出版するに至っています。

卒業後もヘンダーソンは大学に残り、教員として働くことになります。担当したのは内外科看護の卒後コース。看護師資格を持ち臨床経験のある学生たちと、熱心にフィールドワークへ打ち込みました。ところが、彼女の実践を重視する教育方法は、当時の学長にはなかなか認められませんでした。ちょうど『看護の原理と実際』を再改訂したいと考えていたことも重なり、同大学を退職。丸5年をかけて改定作業に没頭した結果、『看護の基本となるもの』の誕生につながっていきます。

その他にもヘンダーソンは多くの研究や調査を重ね、56歳のときに社会学者のレオ・シモンズとともにエール大学へ移り、のちに同大学看護学部名誉研究員となります。この頃のヘンダーソンは、数多くの国の看護師協会から名誉会員として迎えられるようになってており、執筆・研究活動の合間を縫いながら講演などのために世界中を飛び回っていました。1982年の秋には日本を訪れ、その講演会は大変な盛況だったといいます。1996年、98歳で静かにその生涯を閉じた後も、ヘンダーソンが重ねてきた思索と実践の影響力はとどまることなく、現在に至るまで受け継がれています。

2.『看護の基本となるもの』が誕生した背景

ヘンダーソンの代表作である『看護の基本となるもの』がまとめられたのは、1960年のこと。偶然にも、ナイチンゲールの『看護覚え書』からちょうど100年後でした。

もともとヘンダーソンは、改訂に携わっていた『看護の原理と実際』第5版へ、自身がまとめた看護の定義を掲載しています。徹底的な調査に基づいて書かれた教科書である同書は、米国内のみならず海外でも大変な好評を博しました。国際看護師協会(ICN)の幹部であったイギリス人看護師は同書にいたく感動し、そのエッセンスを世界中の看護師へ伝えたいと考えました。このことがきっかけとなり、国際看護師協会の依頼を受けたヘンダーソンにより『看護の基本となるもの』が生み出されたのです。

当時の看護師たちは、医学が急速に進歩するにつれて、看護が医学的な診断や治療の過程に取り込まれてしまったように感じ、ナイチンゲールが見出した「看護」というものを見失いそうになっていたといいます。そうしたなかで、『看護の基本となるもの』は看護独自の機能や看護師が果たすべき役割について明確に示しており、国際看護師協会の「公式声明」として世界中へ広まっていきました。現在では、国際看護師協会から英語・ドイツ語・フランス語・スペイン語で出版されているほか、30以上の言語に翻訳され、世界中の看護師たちのバイブルとなっています。

日本の学校や病院でも、ヘンダーソンの看護理論をベースとした教育・実践を行っているところが少なくないわよね。

60年近く前の著作が今もなお古びることなく、世界中の看護師たちに読み継がれているのだと思うと胸が熱くなります!

3.ヘンダーソンの「14の基本的欲求」とは?

『看護の基本となるもの』では、基本的看護を構成する諸活動が14項目に分類され、これらのニーズを患者さんが自立して満たせるよう補助することが看護の役割であると述べられています。14の基本的欲求とはどのようなものか、ヘンダーソンが示した「看護の独自の機能」の定義とともにおさらいしておきましょう!

看護の独自の機能

「看護婦の独自の機能は、病人であれ健康人であれ各人が、健康あるいは健康の回復(あるいは平和な死)の一助となるような生活行動を行うのを援助することである。その人が必要なだけの体力と意志力と知識とを持っていれば、これらの生活行動は他者の援助を得なくても可能であろう。この援助は、その人ができるだけ早く自立できるようにしむけるやり方で行う」*
*厚生労働省:看護の独自の機能について

14の基本的欲求

(1)正常に呼吸する。
(2)適切に飲食する。
(3)あらゆる排泄経路から排泄する。
(4)身体の位置を動かし、またよい姿勢を保持する。
(5)睡眠と休息を取る。
(6)適切な衣類を選び、着脱する。
(7)衣類の調整と環境の調整により、体温を生理的範囲内に維持する。
(8)身体を清潔に保ち、身だしなみを整え、皮膚を保護する。
(9)環境の様々な危険因子を避け、また他人を障害しないようにする。
(10)自分の感情、欲求、恐怖あるいは“気分”を表現して他者とコミュニケーションを持つ。
(11)自分の信仰に従って礼拝する。
(12)達成感をもたらすような仕事をする。
(13)遊び、あるいは様々な種類のレクリエーションに参加する。
(14)“正常”な発達および健康を導くような学習をし、発見をし、あるいは好奇心を満足させる。

また、これらの基本的欲求をアセスメントするにあたり、併せて考えるべきことが「基本的欲求に影響を及ぼす常在条件」と「基本的欲求を変容させる病理的状態」です。

基本的欲求に影響を及ぼす常在条件

(1)年齢:新生児、小児、青年、成人、中年、老年、臨終
(2)気質、感情の状態、一過性の気分
 a.“ふつう”
 b.多幸的で活動過多
 c.不安、恐怖、動揺あるいはヒステリー
 d.憂うつで活動低下
(3)社会的ないし文化的状態:適度に友人がおり、また社会的地位も得ていて家族に恵まれている場合、比較的孤独な場合、適応不全、貧困
(4)身体的ならびに知的能力
 a.標準体重
 b.低体重
 c.過体重
 d.ふつうの知力
 e.ふつう以下の知力
 f.天才的
 g.聴覚、視覚、平衡覚、触覚が正常
 h.特定の感覚の喪失
 i.正常な運動能力
 j.運動能力の喪失

基本的欲求を変容させる病理的状態

(1) 飢餓状態、致命的嘔吐、下痢を含む水および電解質の著しい平衡障害
(2) 急性酸素欠乏状態
(3) ショック(虚脱と失血を含む)
(4) 意識障害―気絶、昏睡、せん妄
(5) 異常な体温をもたらすような温熱環境にさらされる
(6) 急性発熱状態(あらゆる原因のもの)
(7) 局所的外傷、創傷および/あるいは感染
(8) 伝染性疾患状態
(9) 手術前状態
(10)手術後状態
(11)疾病による、あるいは治療上指示された動けない状態
(12)持続性ないし難治性の疼痛

14の基本的欲求をマズローの欲求5段階に当てはめ、(1)~(8)が「生理的欲求」、(9)が「安全欲求」、(10)~(11)が「社会的欲求」、(12)が「承認欲求」、(13)~(14)が「自己実現欲求」であると考えると分かりやすいでしょう。患者さんがどの欲求を満たせていないのか把握し、常在条件と病理的状態も合わせて考慮しながら、その人が本当に求めている(必要としている)援助を検討していくわけです。

4.ヘンダーソンが残した名言の数々

“自らを知ることは他者を知ることの土台であり、自尊の念は他者を敬うことの基本であることは、過去においてもそうであったように、今も事実であり、おそらく未来においてもそうであろう”
看護教育の指導者として、世界で名を知られている人

“人間には共通の欲求があると知ることは重要であるが、それらの欲求がふたつとして同じもののない無限に多様の生活様式によって満たされるということも知らなければならない”
朝倉京子:保健医療社会学論集 25(2), 2015

“ハンディキャップとたたかう患者、あるいは死が避けられないときに厳然と死にゆく患者が“生活の流れ”を持ち続けるのを助けるには,看護師こそもっともふさわしい立場にあるのである”
豊田久美子 他:日本保健医療行動科学会雑誌 30(2), 2016

“看護師は、例えば一時的に意識を失った人の意識となり、自ら生命を断とうとする人の人生に対する愛情となり、切断手術を受けた人の足となり、最近目が見えなくなった人の目となり、乳幼児の移動手段となり、若い母親の知識や自信となり、体が弱りはてて、あるいはひどく引っ込み思案のために物が言えない人の声となるのだ”
ICN:看護師:主導する声 持続可能な開発目標の達成, 2017

患者さんたちの声なき声にも耳を傾け、相手を理解しようとする姿勢が大切だということが伝わってきます。
「個別性に配慮する」ことの重要性を、ヘンダーソンは明らかにしてくれたわけですね。

ヘンダーソンはほかにも、「すぐれた看護師は他者の皮膚の内側に入っていく」**という特徴的な表現をしているわ。
そのために必要なこととして挙げているのが、「無限の知識、蓄積された技能、忍耐力、寛容さ、感受性、そして努力し続けることのできる能力」**よ。

とても高いハードルですが、目指すべき看護師像として大切にしたい言葉ですね!

**川嶋みどり:日本看護研究学会雑誌 33(1), 2010

5.ヘンダーソン年表

西暦 年齢※ 出来事
1897年 0歳 米国ミズリー州カンザスシティで誕生
1918年 20歳 ワシントンの陸軍看護学校へ入学
1921年 24歳 同校を卒業し、ヘンリー街の看護師セツルメントで訪問看護師として働いた後、プロテスタント病院看護学校で専任教員を務める
1929年 32歳 コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジへ進学
1932年 35歳 同大学で学士号を取得
1934年 37歳 同大学で博士号を取得し、そのままカレッジ卒後教育担当准教授となる
1950年 53歳 『看護の原理と実際』第5版の執筆活動に入る
1953年 56歳 エール大学研究担当准教授へ就任
1960年 63歳 国際看護師協会の依頼を受けて『看護の基本となるもの』を執筆
1971年 74歳 エール大学看護学部名誉研究員へ就任
1996年 98歳 死去

※年齢は目安で算出しています

参考文献
ヴァージニア・ヘンダーソン著,湯槇ます・小玉香津子・訳:看護の基本となるもの,再新装版,日本看護協会出版会,2016.

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