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押川真喜子さんインタビュー―訪問看護の先輩からのメッセージ(前編)

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1992年、聖路加国際病院の訪問看護科立ち上げから、2007年の訪問看護ステーションへの移行と、訪問看護の先駆者として活躍してきた押川真喜子さん。
ご自身の訪問看護師としての経験と、地域包括ケアが推進されるなか、今後さらにその役割が期待される訪問看護師の仕事、その魅力について2回にわたり、お話を伺います。

取材協力
押川真喜子さん 株式会社ハーフ・センチュリー・モア 取締役/ケア部門統括責任者
ロイヤルパークホテルにて撮影

保健師から訪問看護師へ~ALS患者さんとの出会い

――押川さんが訪問看護の道に進んだきっかけを教えてください。
私は聖路加看護大学卒業後、東京・板橋区の保健所で保健師として働いていました。
入職から数か月が経った頃に受け持っていた、人工呼吸器をつけていたALSの患者さんの入院先が廃院することに。遠方への転院を余儀なくされていました。
病院を訪ね、奥様から「自宅に連れて帰りたい」との思いを聞いた私は、そのお手伝いを約束して保健所に戻りました。

しかし、そこからは本当に大変でした。
公務員の立場で、「なぜそんなことを引き受けたのか」と言われ、白い目でみられることもありました。
いまでこそ人工呼吸器をつけた患者さんも在宅で診ることができるようになりましたが、まだ「訪問看護」がなかった時代のことです。
保健所のバックアップで在宅に移行するなど、前代未聞でした。

しかし、私は「ご家族や患者さんが喜んでくれるなら」という思いで協力してくれる開業医を探すなど、必死で受け入れ態勢を整えていきました。
臨床経験がなかった私は、2か月間、毎朝協力医のもとで処置のトレーニングを受け、人工呼吸器を手配し、自宅に自家発電装置を作ってもらうなど、すべて手探り、手作りで進めていったのです。

この患者さんは28年の在宅療養生活を送り、2011年に亡くなりました。
担当したのは3年間でしたが、その後もお付き合いが続き、亡くなられた後にもご家族と思い出話をしました。
私にとってこの経験はその後の人生を変える大きな経験のひとつとなりました。
ただ、その当時もこれは特別なことではなく、今後は病院から在宅に移行する時代が必ず来ると考えていました。

――訪問看護の黎明期はどのような苦労があったのでしょうか。
私が聖路加国際病院に入職したのが1989年で、92年の訪問看護科立ち上げのときに看護婦長になりました。
「訪問看護とは何か」からのスタートでしたし、医師の認知も得られていない時代でしたので、まずは聖路加国際病院の医師に信頼してもらうことを目標にしました。
3年くらいはかかったでしょうか。
最初は呼吸器科と脳・神経系の医師をターゲットに、「医師の代わりにやれることはすべてします」と、医師の前でチューブ交換などの処置を実際に見てもらったり、千葉や埼玉などの遠方へ訪問したり。
トラブルがあったときには無償で駆けつけたこともあります。
最初はやはり採算が取れずに苦労したので、医事課に頼らず、自分たちで医療経済も勉強しました。

ただ、そのなかで助けられたのは患者さんの存在です。
人工呼吸器などの医療機器や医療的な処置が必要であっても、自宅に戻ることを希望する患者さんをサポートする、断らないことを目指していました。
患者さんから医師に「訪問看護師は処置が上手だ」と伝えていただいたことも、医師の信頼につながったと思いますし、家族から教えられることもたくさんありました。
そのひとつひとつが私を成長させてくれたと思っています。

最期に立ち会えるのは医療者として幸せなこと

――訪問看護では看取りやその判断も重要な仕事になりますが、バーンアウトしてしまう人もいると聞きます。
30年の訪問看護師経験のなかでも、特に小児の訪問看護、その看取りはつらく、最初のころは私自身、バーンアウトしそうになったこともあります。
しかし、最期は皆亡くなるのですから、「そこに立ち会えるのは医療者として光栄なことだ」と考え方を切り替えました。
私たち看護師は家族になることはできませんが、医療者として見届けることはできます。
確かに看取りを経験してバーンアウトし、退職した人の話も聞きますが、看取りができないのであれば、在宅だけでなく病棟でも難しいのではないでしょうか。

私は、新人看護師が病棟経験なしに訪問看護に入ることに反対の立場です。
それは私の過去の経験の反省からもきているのですが、病棟では人の死に立ち会う経験をしたときに、仲間たちが支えてくれます。
そのなかでトレーニングをすることで、訪問看護に入ったときに、ひとりでも支えられるようになるのだと思います。
もちろん、訪問看護でもステーションで先輩たちが支えてくれますが、現場ではひとりです。
例えば訪問時に患者さんが昏睡状態に陥っていたら、家族を呼んでもらうなどの判断をしなければなりません。
病棟ではモニターがついていますので、ある程度予測できますが、在宅ではそれがありません。
病棟で経験し、学んでいけば怖いものではないと思います。

情熱があるなら訪問看護の世界に飛び込んで

――どんな人が訪問看護師に向いているのでしょうか。
第一に、訪問看護をやりたいという意欲があることです。
真夏でも自転車で在宅に向かわなくてはいけませんし、体力勝負の現場でもあるので、病棟と比べて決して環境がよいとは言えません。
重症度の高い患者さんを多く受け入れるステーションでは、難しい処置をひとりで行わなくてはならない厳しさもあります。
また、病院の都合に患者さんを合わせるのではなく、訪問看護師が患者さんの家庭の事情や希望に合わせて動かなくてはならない臨機応変さも必要です。
他の事業者の様々な職種とのコミュニケーション能力も求められます。

しかし、いまは訪問看護ステーションにも様々な特徴があります。
処置の技術に不安があるなら、重症度の高い人は受けない訪問看護ステーションもあります。
高いレベルでやりたい人、今は自信がなくても訪問看護の道に進み、そこからステップアップしたい人など、その人に合わせた働き方が可能だと思います。
いずれにしてもまずは飛び込んでみることが大事なのではないでしょうか。
例えば訪問看護を1年経験して、「病棟のほうが向いている」と思えば病棟に戻ればいいですし、訪問看護ではうまくいかなくても、病棟に戻ってイキイキと仕事をしている看護師もいます。

訪問看護にとっても人材は貴重ですが、合う、合わないはありますし、訪問看護への情熱だけではやっていけないこともあります。
先輩をみながら、経験していくなかで客観的に自分に訪問看護は向いているのかを考えることも大切です。
一方で管理者はそれを見極めながら、長く看護師として活躍できる人材を育成してもらいたいと思っています。
(次回訪問看護の先輩からのメッセージ(後編)に続く)

押川真喜子さん
1960年、宮崎県生まれ。聖路加看護大学卒業。板橋保健所、日本大学医学部附属板橋病院内科病棟を経て、89年から聖路加国際病院公衆衛生看護部勤務。92年、聖路加国際病院訪問看護科を立ち上げ、2007年、聖路加国際病院訪問看護ステーションに移行。2013年、株式会社ハーフ・センチュリー・モア ケア部門統括責任者に就任。主な著書に『訪問看護婦だからできること』(リヨン社)、『在宅で死ぬということ』、『こころを看取る―訪問看護師が出会った1000人の最期』(文藝春秋社)などがある。

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