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忘れられない患者さんとのエピソード1

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看護の仕事は多忙で、身体的にも精神的にもつらいと感じることも少なくないでしょう。そんななかでも看護師を続けていられるのは、患者さんからの何気ない一言に救われたり、忘れられない出会いがあったりと、「看護の醍醐味ややりがいを感じられるエピソードがあるから」という人もいるのではないでしょうか。ナースフルでみなさんが出会った患者さんとの思い出を募集したところ、数多くのエピソードが寄せられました。数回に分けてご紹介します。

Q.あなたの忘れられない患者さんとのエピソードを教えてください。

精神的なサポート、傾聴の大切さを学びました

看護師になって3年目。急性骨髄性白血病の再発で入院していた患者さんとのエピソードです。
いつも笑顔で私たちにもつらい顔を見せない患者さんでしたが、感情を表出されないその患者さんのことが気になっていました。

業務が落ち着いた夜勤のとき、患者さんの思いを傾聴したいと時間をとってベッドサイドに座りました。
退出しようとしたとき、「話を聞いてもらってよかった。つらくて何度この窓から飛び降りようと思ったか。家族に迷惑をかけてつらい。本当に今日はありがとう、思いとどまりました」と。
涙を流し、少し楽になった表情でした。
何度も自殺を考えていたこと、家族にこれ以上の心配はかけられない、看護師にも言えない、誰にも迷惑をかけられないという非常に苦しく、つらい思いをされていたことを知りました。
言葉にしたことでいくらか楽になられたのではないかと思いました。

精神的なサポート、看護師による傾聴で思いを表出してもらうことがいかに大切かなどを学ぶことができました。
もちろん、その後は情報を共有し、サポートを継続しました。
(50歳代・女性・外来勤務)

小さい女の子でもおしゃれをすることに楽しみが

ターミナル期に家族との思い出を作るため、東京ディズニーランドに行くことになった神経芽細胞腫の3歳の女の子とそのお母さんとの話です。
体力が低下し、当日も状態が不安定でしたが、お母さんからディズニーランドに到着した後は魔法がかかったかのように元気に遊んだと聞きました。
そしてお土産を選んでいたときに手にしたのはキャラクターのヘアピンだったとのこと。
彼女は治療の影響で髪の毛はありませんでした。
それでもヘアピンを選んだ彼女にお母さんは、「髪の毛がなくても女の子なんだな」と思ったそうです。
私たちはつい治療のことに気が向いてしまいますが、小さい女の子でもおしゃれをする楽しみがあること、その大切さに気づかされました。
(30代・女性・外来勤務)

私のナース人生の土台を作ってくれた患者さん

入職1年目に出会った大腸がんの女性患者さんは、離婚後に息子さんと疎遠になりながらも美容師として気丈に働いていた方でした。
外科病棟に配属されたばかりの5月ごろナースコールがあり「どうされました?」とドアの入口で声をかけると、「痛いから何とかしてー!」と悲痛な叫び声……。
新人だった私は「急いで対応しないと先輩に注意される」と思い、指示の鎮痛剤を投与して退室しました。
その数時間後、患者さんは亡くなられました。

私は身内の死も経験がなく、初めて「死」を経験しました。
そばに行き、手を握り、「どこがどう痛いのですか?」と目をみて対応できなかったことが情けなくて悲しくて人前で号泣してしまいました。
臨終直後、疎遠になっていた息子さんが駆けつけ、床に泣き崩れると、「放ったらかしててごめんなー」と言い続けていました。

そのときに決意したことがあります。
「どんなに忙しくても近くに行って目をみてしっかり話を聞くこと。いい加減な対応をしないこと。自分が後悔する対応はしないこと」。
その方が私のナース人生の土台を作ってくださったおかげで30年ナースを続けています。
今も名前もお顔も忘れたことがなく、私の心のなかに生きてくれています。
(50歳代・女性・一般病棟勤務)

将来、看護師として進む道を考える機会に

がんで終末期を自宅で過ごしたいと希望していた患者さんを受け持ったセルフケア実習での経験です。
その患者さんの目標は、自宅に戻れるようにリハビリをがんばること、そして自分で経口摂取ができるようになることでした。
毎日のケアを通じてたくさんの素敵な話、患者さんの思いを聞いていました。
「いつかご飯に行こうね」と、学生である私に何度も言ってくれました。

2週間の実習終了後、医師と指導者にお願いをし、バースデーカードを渡すことになり、4日ぶりの再会に私は心を踊らせていました。
しかし、目に映った患者さんは容態が急変し、ベッドに寝たきりで生死をさまよっていました。言葉も出ず、ただ必死に涙をこらえてカードを渡しました。
「ありがとうね、ありがとうね」と、患者さんは小さな声で何度もお礼を言ってくれました。
私は何も言葉を発することができませんでした。この前まであんなに元気だったのに――。

生きることとは、がんを患うとはどういうことか、あのとき私はどう接するべきだったのか……、そしてこの経験が将来、看護師としてどの道に進みたいのかを考える機会になりました。
今私は、その人がその人らしく最期を迎えられるお手伝いをしたいと、緩和ケア認定看護師を目指しています。
あの出会いがなければ今の私はないでしょう。これから先も忘れることはないと思います。
(20代・男性・一般病棟勤務)

患者さんが生きてきた証を家族に伝えることも大事なかかわり

新人看護師のとき、急性腸炎で入院した70代のAさんに高校受験を控えたお孫さんの話を聞きました。
お孫さんが私の地元に近い高校を志望していたこともあり、病棟ですれ違うたびにAさんは「孫の受験が心配でさ」「今日はいよいよ合格発表日でね、朝から気になって何度も息子に電話して怒られたよ」と話しかけてくれました。
Aさんのもとに合格の連絡が入ると、私に報告に来てくださり、「ありがとう」と私の手を握ってくれました。
そのあと2人で喜びの涙を流したのを覚えています。

その数日後、Aさんは元気に退院しましたが、2週間後に原因不明の腹水と倦怠感を主訴に再入院となりました。
入院して3時間後に容態が急変し、心臓マッサージが施行されましたが、挿管前にDNRの確認がとれ、そのまま亡くなられました。
Aさんの突然の死に家族は動揺を隠せず、私も激しく動揺しました。

しかし、そんななかでもAさんが私に話してくれたお孫さんの話を家族に伝えたいと、帰宅直前のご家族に声をかけました。
そのそばにはお孫さんの姿もありました。
私は迷わずお孫さんの手をとりました。

「私からみてお孫さんはAさんにとって自慢の孫なのだと思いました。普段あまり多くを語らずおとなしいAさんが、お孫さんのことを話すときはとても笑顔で誇らしげだったのです。そのAさんの様子はおそらく病棟で私しか知らないと思ったので、どうしてもお伝えしたかったのです。Aさんはいつまでも応援してくれていると思いますので、がんばってください」

そう話す途中から私もお孫さんも泣き出してしまい、私は言葉を絞り出すのに必死でしたが、最後まで伝えると、お孫さんから「ありがとうございます」と言葉をいただきました。
私の働く病棟は慢性疾患を抱える患者さんが多く、亡くなる方が多いのも事実です。
私自身、亡くなった患者さんの家族に対して、どのようにかかわっていくのかが課題でもありました。

今回は、「私が伝えなくては!」という思いが湧き立ち、家族に声をかけましたが、患者さんが生きていた証を家族に伝えることも大事なかかわりのひとつであると学ぶことができました。
今思えば、車で3時間かかる病院まで息子さんだけでなくお孫さんまでもが来院していたこと、勤務を終えていた私がお孫さんに会えたことも奇跡としか考えられません。
もしくはAさんが私に「お孫さんに伝える」という最後の仕事を託したかったのかもしれないと思っています。
死後の家族ともかかわりに正解不正解はありませんし、数多くの死を乗り越えて働くことは容易ではありません。
しかし、今回のかかわりを通して学んだことはたくさんありました。
(20代・女性・一般病棟勤務)

採血のときに思い出す患者さんの励ましの言葉

看護師になって1年目。
初めてひとりで採血を行うことになりました。
同期で練習はしたものの、まったく自信はありませんでした。

先輩には「2回失敗したら交代」と言われていたのですが、患者さんに針を刺しても逆血がなく、2回失敗してしまいました。
患者さんに「先輩と変わりますね」と伝えたところ、患者さんから「2回ぐらい失敗したからって諦めちゃだめよ。私なら大丈夫だから、何回刺してもいいからできるまでがんばりなさい」と腕を差し出してくれました。
3回目でやっと採血ができましたが、患者さんからは穿刺の前に「がんばって。大丈夫」と励ましの言葉をいただきました。
その患者さんは肺がんで化学療法のために繰り返し入院をしていた方でしたが、私が2年目になるころに自宅でお亡くなりになったそうです。

私は現在6年目になりましたが、仕事で失敗したときや採血のときなどにはその患者さんからの言葉を思い出してがんばっています。
(20代・女性・一般病棟勤務)

住み慣れた自宅で最期まで自分らしく過ごすこと

4年前、私が訪問看護ステーションで勤務していたときのことです。
身体・知的障がいのある40代の女性Aさんの担当になりました。
Aさんは舌がんで、腫瘍が頸部の皮膚まで増殖・潰瘍形成しており、滲出液もありました。
状態観察と頸部のケア、疼痛コントロールなどを中心に支援をしていました。
Aさんは吸い飲みを使って経腸栄養剤を摂取しており、在宅で看取りをすることとなっていました。
初めてお会いしたときにはすでに舌がんが増大して口を閉じることができず、親しい人とは会話の文字盤を使ったり、できる限りの発語で会話をしたりしていました。
私が担当になったものの、コミュニケーションが難しく、聞き取りに時間がかかりました。
父親やホームヘルパー、施設スタッフに仲介してもらいながら文字盤でコミュニケーションをとり続けました。

訪問回数を重ねるなかで、ご家族やホームヘルパーの方にAさんの日常の様子を教えてもらいました。
Aさんの日々の楽しみは、バスに乗ってホームヘルパーと買い物に出かけること。
父親らが立ち上げた地域活動ホームに長年通所しており、利用者として通っていた大好きな彼に会えることが楽しみだったそうです。
また、おしゃれ好きで、洋服もかわいいものが多く、コーディネートを楽しんでおられました。
趣味のネイルはお店の人に塗ってもらったものを私に見せてくれました。
私がAさんにネイルをすると、Aさんはとても喜び、何度も手を見てはニコニコされていました。
しかし、それから10日後、頸部の腫瘍から出血があり、翌日に再出血すると意識低下となり、そのまま他界されました。

私は初めて重複障がいの方を担当し、コミュニケーションをはかることにもかなり苦労しました。
何とか意思疎通がはかれるようになると、Aさんとはおしゃれのことなど、いろいろな話をし、距離も縮まりました。
Aさんは舌と頸部に腫瘍が表出しても、マスクや洋服で隠しながら毎日楽しみに地域活動ホームに通所していました。
出血後は私たち医療者が再出血の危険を説明し、Aさんは他界されるまでの2~3日を自宅で過ごしましたが、Aさんはご家族やホームヘルパー、地域活動ホームの所長さんなど、多くの人の支えを受け、住み慣れた自宅で最期までご自身の思う過ごし方ができたのではないかと思います。
Aさんは満足のいく、すばらしい人生を送られたのではないでしょうか。
(40代・女性・その他)

患者さんとの約束が今の私を奮い立たせています

実習で脳梗塞後のリハビリ期に入った60代の男性を受け持ちました。
初めは「俺が育ててやらなければ」と、私の看護計画も聞いてくださらず、途方にくれていました。
高次脳機能障害と左半身麻痺によるプッシャー症状が強いものの、半側空間無視が強いために患側を保護する病識もなく、気分がすぐれないとリハビリを拒絶することも多かった患者さんでした。
動かなくなった身体についても精神的、肉体的に混乱されていました。

入院中、患者さんが誕生日を迎えたので、私は捨てられることを覚悟で片手で開ける縦開きのバースデーカードを作りました。
毎日患者さんのリハビリについて一緒に理解を深め、何度も車椅子移乗を行ううちに息が合うようになり、「俺のは学生さんじゃないと無理。看護師さんは息が合わないんだよ」と言葉をもらえるようになりました。
私の看護計画にも賛同いただけるようになり、最終日には介助で立てるようになりました。

実習最終日に「もっと患者さんと一緒にリハビリをやりたかったです。もっと元の生活が取り戻せるように……」と言いかけると、普段表情の硬い患者さんが大粒の涙を流しながら、「絶対に歩けるようになって姿を見せに行くから絶対に看護師になりなさい。どこへ勤めても俺は自分の足で歩いていくから、お互いにがんばろう」と言ってくださいました。
それが今の私の糧になっています。

どれだけつらくても、その姿をみるまで看護師を続けていかなきゃ!と思いながら自分を奮い立たせています。
看護実習で受け持った患者さんはみなさん一生忘れないと思いますが、特にこの患者さんとの約束が1番思い出深いです。
(30代・女性・外来勤務)

「看護師とは何か」その答えを探し続けて……

この患者さんとの出会いは、私が看護師3年目のときでした。
50代の大腸がんの男性患者さん(Aさん)が入院してきました。
性同一性障害のAさんは、全身ピンクの洋服に包まれ、キラキラのボストンバッグを持ち、やさしい言葉使いの方でした。
Aさんはとても心が温かく、誰に対してもやさしく、感謝を忘れない素敵な方で、家族もいました。Aさんは私の勤務する病棟で化学療法を受けることになり、私がプライマリとしてかかわっていくことなりました。

Aさんは、化学療法開始後も苦痛な表情を見せたり弱音を吐いたりせず、いつも笑顔でした。
予定の1か月間の化学療法を終えて外科に転棟になる前、私と写真を撮りたいと言ってくださったので、先輩と3人で写真を撮りました。
無事に手術を終え、状態が落ち着いて退院したことを外科の看護師から聞いていました。
それから2年後、私の病棟にAさんがやってきました。
Aさんは前の術後しばらくしてから新たにがんがみつかり、化学療法のメニューを変えるために再入院したと報告しに来てくださったのです。
少しやせ細った印象はありましたが、以前と変わらずかわいい格好で笑顔で私に会いに来てくれました。
私は業務に追われててゆっくりと話をすることができませんでしたが、その後Aさんは退院していきました。

さらに1年後、疼痛コントロール目的で再び入院したAさんが病棟に私を訪ねてきてくれました。
仕事終わりに部屋にうかがうとAさんは、「もう半年も生きられないかもしれないって言われてしまったの。初めて、Bさん(私)に弱音を吐いたかもしれないね。本当に悲しかったから……。でも、ここで心が折れたら病気がエサにするでしょ?だから、前向きになるためにもBさんに話しをして気持ちを楽にしたかったの。Bさんは本当に信頼ができるもの。私が初めて入院して初めて専属の看護師さんになってくれた人だから、神様みたいに思っているの。ほらこのお守り見て」と、私と先輩と3人の写真の待ち受け画面をみせてくれました。

Aさんは私に同情してほしいのではなく、背中を押してほしいことがわかりました。
「一緒にまたがんばろう、乗り越えよう」と、私はその日を境に時間があるときにはAさんの病室に顔を出しました。
かわいいヘアピンを部屋で一緒につけると、そのたびにAさんはうれしそうに「かわいいね、うれしい」と笑顔で答えてくれました。
毎日面会に来てくれる奥様にこれ以上迷惑をかけられないと悲しい顔をしていたので、私にできる看護のひとつとして、少しでもAさんが大切にしている女性としての外観を維持できるように、病棟外の看護師としてできる範囲のことをしていました。
しかし、病棟も多忙で毎日夜遅くなってしまい、消灯に間に合わない日が増え、いつの間にか顔を出さなくなってしまいました。

久しぶりに早く仕事が終わったので病棟に行くと、Aさんは面会禁止となっていました。
病棟の看護師に状況を確認し、もう少し状態が落ち着いたら顔を出そうと、病棟を後にしました。
しかし、Aさんはその2日後に急変し、亡くなりました。
私がそのことを知ったのは1週間以上経ってからのことで、最後までヘアピンを大切に飾ってくれていたことも知りました。
このときの気持ちは言葉にならないほどで、今でも忘れることができません。

私が来なくなったことで、Aさんはどんな気持ちだったのか、どんな気持ちで毎日待っていてくれたのか、亡くなって4年経った今もこのときの後悔が残っています。
だからこそ、この経験を次につなげていかなければならないと思います。
看護師とは何か、これから先もずっと見つからない答えを探し続けるのだと思います。
後悔しないためにも、目の前の患者さんと精一杯向き合っていきたいです。
(30代・女性・休職中)

患者さんとの「一品の約束」とウサギのカード

私が1年目のとき、低血糖による意識混濁があった老齢の男性患者さんを受け持ちました。
ブドウ糖の点滴に加え、5回食にして少しずついろいろなものを食べていただくなどするなかで意識もはっきりし、話ができるほど元気になって、ご家族も喜ばれました。
当時は先輩のフォローが外れて独り立ちしたばかりだったため、毎日怒られて心がくじけそうになったり辞ようと思ったりもしました。
しかし、その患者さんのもとに行くといつも笑顔で迎えてくれ、私がいてくれたからここまで元気になったのだと毎回言ってくれることがうれしくて、辞めずに踏みとどまることができました。

その患者さんは血糖値が安定したため一度点滴を外しましたが、再び低血糖に陥りました。食事摂取量が追いつかなかったためでした。再び点滴を開始するも今度は食事が入らなくなりました。ご家族はできるだけ経口摂取を望んでおり、私たち看護師はどうやって食べてもらうか悩みました。
そこで私が考えたのは「一品の約束」でした。
どれか1つでもいいからお皿を空にすること、それをご家族がいるときに患者さんと私で約束しました。
それからはご家族もほぼ毎日付き添いながら「一品の約束」を守ろうとがんばってくれました。
特に私が受け持ちの日はがんばってくれていたことを、後にご家族から教えてもらいました。
「あなたがいてくれると、父もがんばって食べようとするのです。ありがとうございます」とお礼の言葉をもらいました。
患者さんは日に日に痩せてはいきましたが、それでも口から食べる努力を続けていました。

しかし、私が夜勤明けの2連休を終えて仕事に出た日の朝、その患者さんは亡くなりました。
夜勤明けで帰宅した日の昼に意識低下となり、さまざまな手を尽くすも意識は戻りませんでした。
休み明けにそれを聞いた私は悲しくなり、最期にそばにいてあげられなかったことが残念でたまりませんでした。
後日、再び私がいない日にご家族が病棟にお礼に来られたそうで、ご家族から預かったという手紙を受け取りました。

手紙は患者さんの娘さんからで、お礼と、患者さんが病院というつらい場所で私とのかかわりをいかに幸せに感じていたかが書かれていました。
そこには患者さんが生前、私にあげたいと話していたというウサギのカードが入っていました。
いま、私はくじけそうになったとき、そのウサギのカードをみています。
そのカードをみると、あの患者さんがあのころのように笑って私を応援してくれているのが目に浮かびます。
それを糧に今日も元気に働いています。
(20代・女性・一般病棟勤務)

■編集部のつぶやき
今回紹介したのは、みなさんから寄せられたエピソードの一部ですが、多くの看護師がこうした患者さんとの出会いを通じて学んだり励まされたりしていることが伝わってくるものばかりでした。
医療現場で命と向き合う看護師はつらい経験をすることも少なくありません。
そんななかで先輩や同僚、そして何よりも患者さんに支えられていると感じることも多いのではないでしょうか。
これが自身の忘れられない患者さんとのエピソードを思い出したり、看護師としての自分を振り返ったりするきっかけになればと思います。
次週以降で「忘れられない患者さんとのエピソード」を引き続きご紹介します。

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